1974(昭和(しょうわ)49)年7月7日の夜からふりはじめた雨(※1)は、9時間もふりつづき、土地の低い平作川(※2)へとたくさん集まってきました。川の出口の久里浜では、水が川からあふれ出し、町じゅうが水びたしになってしまいました。とくに、水害のひどかった所は、むかしから土地の低かった“内川新田”です。
その原因(げんいん)としては、大水が出た時、水がたまる場所(田や大きな水たまり場など)があったのですが、最近では工場や家などがたくさん建てられ、そのほとんどがなくなってしまいました。また、今では、平作川のまわりの山々がけずられ、住宅(じゅうたく)や団地(だんち)がたくさんできたので、大雨がふると、水が全部川に流れてしまうからだともいわれています。 |
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ひ害のようす
(舟倉(ふなぐら)町付近) |
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※1.7月7日のたなばたの夜から雨がふったので、“たなばた水害”とよばれています。
※2.大楠山のふもとから流れ出し、久里浜港へとそそぐ、三浦半島の中で一番長い川です。 |
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